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手技使って、カラダを見直すボディワークセッション/飯田橋・広尾

本来ある状態にカラダを整える6回コース

人生をしまう時間という映画が教えてくれたこと

 
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カラダを整え、動くカラダへをテーマにセッションを行っています。IMACやリアラインコンセプトを中心とした手を使ったセッションとエクササイズを中心とした運動指導でより良い快適な身体になるための指導を提供しています。
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飯田橋・広尾で活動しています。竹野です。

体を見直すセッションを行なっております。

本日は一つ気になった映画を見たので、それについてブログにしてみました。ここででくる画像は公式HPならびに公式Facebookページのものを引用させていただきました。

人生をしまう時間(とき)

まずは予告編をご覧ください

在宅医療の現場をただただ追いかけてものです。

そもそものきっかけは下記の連載を見たことです。

 

カラダに触れたり、関わる仕事をしているからか、「死ぬこと・生きること」を考えることが多いです。

 

大げさといえば、そうかもしれませんが「クライアントさんのカラダを預かる」ということは「命に触れる」ことに近いと思っています。

2つの別れ際

色々と印象に残っているシーンや考え方があるのですが、その一つに「別れ際」です。

 

映画のなかでは往診のシーンと死を迎えたシーンが映し出されます。

 

往診のシーンでは、2人の医師はやるべきことをやって「じゃあ〜またね」と言って、あっさり帰る。

でも、本当の別れ際のシーンでは「医師」だけではなく「患者さんに関わったという人間」というもう一つ表情が混在している感じが、とても印象的でした。

 

とくに堀越先生の表情は違っているように感じました。

ただただ、現状をありのままに

ネタバレになるかもしれませんが、エンドロールが終わった小堀先生の一言が非常に、この映画のらしさだった気がしました。

 

特に訪問医療とか、死を迎えることとか、それらが抱える問題とか、それらを強く主張している感じがなくて、その現場を捉えている感じなのです。

 

全盲の娘さんの介護においても、その現実がそこにあるだけです。

 

 

余計なインタビューもない。

 

そのままが撮影されている感じです。

 

だからこそ、色々と感じたものがありました。

目の前の人を大切にすること

最後を迎えるシーンをみると、そこには現実的な「死」があります。

 

在宅の良し悪しではなく、最後を迎えるにあたって何が最適なのかを考えること。それが「死を考えること」という印象を受けました。

 

人は早かれ、遅かれ「死を迎える」ことになります。

 

だからこそ、目の前の人を大切にすることが「生きること」だったりする。

 

私は、これからも丁寧にカラダと向き合い続けたいと思いました。

 

ぜひ、一度ご覧になってみてはいかがでしょうか。

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