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カラダを芯から整え、ココロが動くボディワークセッション/東京・東日本橋

体を変える新しい視点とは

身体と「私が開いていること」

 
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カラダを整え、動くカラダへをテーマにセッションを行っています。IMACやリアラインコンセプトを中心とした手を使ったセッションとエクササイズを中心とした運動指導でより良い快適な身体になるための指導を提供しています。
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ボディワーク をしています。竹野です。

2020年の12月にセミナーに参加し、そのセミナー内で個人的に感じたことを書き残しておこうと思います。とても抽象的なのかもしれないですが、興味のある方は読んでください。

私が開いていること

この「私が開いている」という言葉は2冊の本から登場しています。
リンクを一番下に用意しております。

 

1冊目は「はみ出しの人類学」
2冊目は「間合いとは何か?」

 

この2冊の出会いは、とても私の考え方をシフトし始めています。部分的ではありますが、この2冊の中で「私が開いている」という言葉が使われているところを紹介したいと思います。

 

間合いとは何か?からの一文。

1人称視点とは「1人称の立場から、世界と自身の有様と、相互作用を観察する目線」のことを指します。したがって、身体メタ認知は、実は外界と自己の関わりの様を積極的に自覚し、「自身を外に開いていく」行為であると言えます。

 

次にはみ出しの人類学からの一文です。

そこで重要なのは、自分が開かれているかどうかです。先ほど「平凡なことと奇妙なことを差別してはいけない」というマリノフスキの言葉を紹介しましたが、調査者が「調査すべきこと」や「調査に無関係なこと」といった枠組みに囚われていたら、目の前で起きている出来事が自分の研究テーマと関係していることには気づけません。チャンスを捉え損ねてしまうのです。

そして、こういうふうにまとめています。

自分の殻を脱ぎ捨て、いろんな可能性に向けて「わたし」を開いておく。それは文化人類学的な物の見方をするために必要な態度です。

「わたしが開いている」ということのイメージはなんとなく、着いたでしょうか?

 

私が開いていることは、伝え方・書き方のようなスキルではなく、スタンス(心構え)だと考えています。そして、その心構えには体調が大きく関わっているのです。

身体が調う上で感じるもの

日頃は身体を調えるお手伝いをしています。僕はフラットに物事を考えたり、動けたりすることが色々なことに影響を与えると考えています。

 

間合いとは何か?の一部にもこのように書かれています。

自分の身体についても、その各部位の動きを客観的に分析するだけではなく、動きに伴って体内で生じている体感にも目を向けていることが必要です。バランスが悪い。どこかに力が入っていてぎこちない。しっくりこなくて落ち着かない。自身が有する100%のパワーが効率的に発揮されていない。

しっくりきて、地面から足が生えているかのうようだ。足趾だけではなく身体全体で地面を噛んでいる。こんなふうに体感レベルの物事にまで意識を下すことができて初めて、周りのエネルギー場に自らの体を入れ込み、気持ちよく生きる為の素地が整います。

 

そんな瞬間を感じれることがありました。それは、年末に参加したセミナー内です。受講生同士で色々とIMACを実践していきます。そうすると、身体が調っていく感覚があるのです。

 

そんな時に、その場のエネルギーのようなものが垣間見えることがあります。そして、その場に自分が溶け込むことが出来たら、もう少し場に面白い科学反応が行ったのではないかと思える状況がいくつかあったのです。

 

私は、その時に「その場」に溶け込むことをしなかったのです。その時に「私が開いていない」こと体験したのです。その「開いていない」体験から「私が開いている」を考えることができるようになりました。

開くということが、もたらすもの

その時に、わたしを閉じてしまったことに後悔はありませんが、わたしが開いていることができたら何が起きただろうと考えたわけです。

 

考えられたことはいくつかあります。
・グループ感が生まれること
・グループ感が生まれ、考えが交錯されること
・考えが交錯することにより、創発が生まれること
・創発が生まれることによって、新しい感覚や考えが生まれること
・新しい感覚や考えを体験することで、自分や周りが成長すること。

こう考えられる要因の前提として、その場が安全な場であることがあります。この場が本当に安全な場であるかを確かめるにも「わたしが開くこと」で垣間見えるものだと考えます。

 

「私が開いていること」によるものを、はみ出しの人類学ではこう書かれています。

自分たちの知識や枠組みを相手に押し付けず、相手と同じ場に身を置き、相手から学ぼうとする姿勢で「わたし」を開いておく。すると、その「つながり」は自ずとお互いを変容させていく。その変容こそが「学び」なのだとインゴルドは言います。

学びは表現の幅が増えること

「私が開いていること」が何に影響を与えるのか?

 

個人的に思うのは、表現の幅が増えることだと思います。表現の幅が増えることを成長と捉える人もいるかと思います。

 

私が開いていることは、これからのコミュニケーションにおいて大切な考え方の一つだと考えています。ぜひ、詳しくは2冊の本を読んでみてください。

 

そして、それらを頭で得るのではなく、腑に落ちるためには「身体を調えること」が大切だと私は考えています。2020年の感染症から、今まで変わらないこともありますが、変わるべき部分もあります。どこに、どんな機会があるか分からないからこそ、「私が開いている」を試みてはいかがでしょうか?

 

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